何の役にも立たなかった「遊び」が、お金に化ける時代。

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「実は私、一輪車で綱渡りができます。」

もし、突然そんなことを言われたら、凄っ!とは思うけど、それがいったい何の役に立つの?とそこで会話が終わってしまうのは昔の話。今の時代であれば、Youtubeにアップしようもんなら、世界中に瞬く間に拡散され、その動画が各国のテレビ局のプロデューサーの目にとまり、出演依頼のオファーが殺到・・・、なんてことが十分にありえるのだ。

一時のブームに終わってしまう可能性も否めないが、そんな特技の持ち主であれば、他にもいろいろ芸を持っているだろうし、バランスおじさんとして人気者になっても不思議ではない。

例えが飛躍しすぎた感もあるが、いつの世も、役に立つことばかりが求められ、役に立たないことは全く見向きもされなかった。でも、一見役に立ちそうもないことから時に新しい発想が生まれ、思いもかけぬ展開が広がる。これが現代である。

人はみな有用なものが役に立つことは分かっていても、無用なものが役に立つことを知らない (荘子)

一見役立たずの大木も、舟遊びや昼寝といった「遊」の立場に立てば、一気に「大用」に転換する。常識的には全く無用の存在であるものに、豊かな意味を与えるのが荘子の思想だ。無用の用という成語はここから生まれたのである。

「荘子」のように、2000年以上も前の偉人の言行録でもある古典が、今の時代にも大いに通用するあたりが、まさに無用の用ともいえる。

50年近くも生きていれば、誰しも、いろんな趣味や特技、はたまた人様には言えないような奇癖など、無我夢中になった遊びがたくさんあると思うけど、これらが全部、お金を稼ぐためのネタになる時代だ。自分ではまだ気付いていないだけで、意外と足元に沢山転がっているかもしれない。今一度、自分を見つめなおしてみよう。
何の役にも立たなかった「遊び」が、お金に化ける時代