車はいったいどこへ向かうのか?自動運転の車がさらに若者の車離れを加速させる。
かつて、スーパーカーブームに沸いた日本があった。F1に熱狂した日本があった。チューニングやカスタムカーに夢中になった日本があった。しかし、そういった時代はすっかり過去の産物となり、今では次世代を担うはずの若者の車離れが加速するばかりだ。また、昨今、ニュースで取り沙汰されている自動運転の車の登場により、車を所有する喜び、車を操る喜びが益々薄れていくのではないかと懸念している。
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車の本質ってなんだろう?
車の本質って何かを考えたとき、それは「人を運ぶ手段」というのが正解なのかもしれない。そもそも、自動車は、蒸気の動力で走る「蒸気自動車」が起源とされていて、それまでの人の交通手段であった「馬」がいわゆる「車」に変わったのが始まりである(出典:車FAN)。
その後、ガソリン自動車をダイムラー・ベンツ社が発明することになるが、しばらくのちに自動車レースにより車を操る喜び、エンジン音やマフラー音、個性的なデザインなどが融合した「人を運ぶ手段とは異なる魅力」に、本当の車の本質があるのではないだろうか。
トヨタ自動車が若者世代の市場低迷の要因について、20代の運転免許証保有人口が減少していることを一因として取り上げているが、それは順番が逆だと思う。エコや利便性を追い求めるあまり、かつてのようなスポーツカーなど魅力的な車を殆ど作らなくなり、没個性的な車ばかりが生産される無味無臭の時代になってしまったことが要因で、免許保有人口が減少しているのだ。
これは、日本だけの話ではない。ポルシェの4ドア、ランボルギーニのSUVなど、メーカーのポリシーはどこへ消えてしまったのだろうか。もう何でもありのようだ。ベンツ、BMW、アウディといったプレミアムカーのフルライン戦略にも辟易している。経営戦略上、わからないでもないが、新しいターゲット層を取り込むあまり、真のファンの心を置き去りにしないで欲しい。少なからずそういったファンによって 支えられてきたはずだ。
完全自動運転の車は、商業用だけでいい。
運転席に乗り込んだ後、完全自動運転によって雑誌を読んでいるうちに目的地へ到着する。そんな時代が、数年後には実現しそうな勢いである。自分で運転しなくなることで新たな時間が創出され、スマホやテレビを見るなどメリットは当然ある。
しかし、マイカーでその必要があるのだろうか。無人の自動運転バスや自動運転タクシー、いわゆる「ロボットタクシー」が普及すれば、スマホなどで呼びつけることですぐに駆け付けてくれ、どこへでも目的地へ連れて行ってくれる。そうなると、ますます、車をマイカーとして所有する必要がなくなってくるだろう。
一般の消費者はこういった車を本当に待ち望んでいるのだろうか?今後も、若者たちの車離れは、さらに加速するに違いない。